1977年桐朋学園高校音楽科に入学。チェロを井上頼豊氏に、指揮を尾高忠明、小澤征爾、秋山和慶、森正の各氏に師事。1982年「第17回民音指揮コンクール」で奨励賞を受賞。
1984年桐朋学園大学を卒業後、ベルリン芸術大学に留学、1986年デンマークで開かれたニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝。
1985年12月からカラヤンの亡くなる1989年までアシスタントを務めた。1986年、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会で、急病のカラヤンの代役として急遽ジーンズ姿のまま「第九」を指揮し、話題となる。その成功以来、ザルツブルク・フィングステン音楽祭でカラヤンのスタンバイ指揮者として契約。以後着実にヨーロッパでの実績を重ね、1993年から1998年までヘルシンボリ交響楽団の首席客演指揮者を務めた。
日本国内では1988年「若い芽のコンサート」でNHK交響楽団を指揮してデビュー。オーケストラ・アンサンブル金沢プリンシパル・ゲスト・コンダクター(1991年~1993年)、九州交響楽団常任指揮者(1996年~1999年)を歴任。また、大阪音大ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団常任指揮者(2002年~2008年)を務め、2005年秋には、新国立劇場より松村禎三《沈黙》公演が招待され、東京の音楽界にも衝撃を与えた。2008年4月より同団名誉指揮者就任。